最近読んだ本-『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか
増田俊也 著

きっかけは4年に一度のオリンピック柔道熱です。

実は小学校1年~5年くらいまで柔道を習っていたことがあるのです。
となり町の道場で週2~3回くらいだったかな?
当時、室蘭市内では結構いいとこまで健闘していたのを覚えてます。
なつかし~。
中学では柔道部がなかったのでそれっきりですが、オリンピックとかやってると思わずチカラが入ってしまいます。

にしても、最近の柔道はなんかこう、見ていてこう、歯がゆい試合が多いですね。
組ませてもらえないんだもん。
組んで、崩して投げる!ってのが柔道だと思っていたので、
ポイント稼ぎとか、技のかけ逃げとか、ああいうの見てると、なんだかなーと思ってしまいます。
今回のオリンピック中継の解説(金丸雄介さん)はそのへんも的確に指摘されていて、あーそうそう、わかるわかる、よくぞ言ってくれた!というシーンがちょいちょいありました。
欧米選手の技のかけ逃げとか、投げられてるのにブリッジでしのいだり。
「もー、こうなってくると私も何がやりたいのかわかりませんねー」
「たぶん柔道経験がない人が見ても面白くないんじゃないかなー」
なんていうコメントがあったりして結構笑えました。

あ、こんなことを言いたいんじゃなかった。
で、前々から気になっていたこの本のことを思い出し、柔道のマニアックな話題おもしろそーと思って読んでみました。

この木村政彦という人は、たぶん知ってる人は相当な格闘技マニアか戦後を知ってる世代くらいなのだと思うんですが、柔道界では伝説的な人らしいです。
柔道史上最強はおそらくこの人だろうという。
15年間不敗のまま引退し、「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」と謳われた超人なのだといいます。
その後まあいろいろあってプロ柔道の立ち上げに参加したり、ハワイ巡業に行ったり、ブラジルに行ったり。
そんな彼がプロレスで「昭和の巌流島」ともいわれる力道山との一戦を境に、表舞台から去ることになります。

というのが本筋ですが、この本、約700ページ(しかも上下段)という大作!
そして内容がすごい!

・木村政彦と師匠牛島辰熊、力道山を始め、戦前の柔道家である阿部謙四郎、空手家の大山倍達、グレイシー柔術の祖エリオ・グレイシー、コンデ・コマこと前田光世、木村政彦の弟子の岩釣兼生、などといった格闘家達の伝記
・戦前から戦後にかけての柔道をとりまく時代の流れ
・高専柔道など、講道館柔道以外の柔術の歴史
・ブラジル移民の戦後のナショナリズム闘争
・プロレスをとりまく興行界の裏側

などなど、ものすごい読み応えのある内容でした。

戦前は柔道にもいろいろあって、今のメインの講道館柔道以外にも武徳会や高専柔道、古流柔術などいろんな流派があったが、戦後GHQにより実戦向けだった柔術は軍国主義的なものとして消滅させられたのだそう。
講道館柔道だけは、投げ技主体のスポーツとして認められた(認められるように政治的に働きかけた)ために、現在スポーツとして発達していると。
で、古流柔術等で技を磨いた人たちは行き場を失って海外に飛び、そこでヨーロッパやアメリカ、南米などに柔道が広まったんだそうです。
海外の柔道と日本の柔道の違いはこの辺に起因してるのかも。

中で印象的な言葉がありましたので引用させていただきます。

猪熊功が二〇〇一年、自身が社長を務める東海建設が倒産する前に「生き恥をさらしたくない」と自刃した際、介錯役として立ち会った合気道家がこう教えてくれた。
「いろんな人が、『東京五輪のとき神永さんじゃなくてあなたがヘーシンクとやっていれば勝てたでしょう』と言ってくるじゃないですか。猪熊は会社がうまくいっているときは必ず『いえ、私でも無理でしたよ。勝負はやってみなければわかりません』と武道家らしい言葉を返していました。でも会社が傾いて、いよいよ窮地になってくると、その答が『はい。私なら勝てましたよ』という言葉に変わっていったんです」

強靭な精神力で鍛えぬいた武道家ですら、窮地には余裕を失う。
過去に囚われたり、認められなかったり、逃げたりする。
木村政彦にとってもあの一戦は後の人生に深い影を落とす。

私は、プロ柔道やプロレスで一緒だった遠藤幸吉に木村のことを何度か聞いている。ある日、電話の途中で遠藤が感極まったように声を震わせはじめた。
「ああ・・木村さんの話をしてたら会いたくなっちゃったよ。木村さんに会いたいよ・・・」
後日、私はこの遠藤幸吉と犬猿の仲で知られるユセフ・トルコと会った。歯に衣着せぬ独特のマシンガントークで遠藤の悪口を繰り返すトルコに、「遠藤さんと話しているとき『木村さんに会いたくなった』と言ってましたよ」と話すと、びっくりしたように私の目を見た。
「遠ちゃんがそんなことを・・・?」
トルコの目がみるみる潤みをおびていく。そしてすっと目線をそらして窓の外を見ながらつぶやくように言った。
「木村さんはほんとにいい人だった。いや、いい男だったんだ。すごい男だった。俺も会いたくなってきたよ・・・」

それでも木村政彦は最後まで生きる。
やんちゃな一面もあったが、そんな人間らしさがあったから、まわりの人たちに愛されたんだろうなー。

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